早いもので、住み慣れたサンサイのムーバーンからプラーオに来て半年余りが過ぎました。
何故、チェンマイから遠いプラーオを選んだのか、とよく聞かれます。理由は簡単、6年半も同じところに
住み続けたので、別の場所に住んでみたいと思っただけです。折しも円安の中、出来れば住居費を
節約したいという考えもありました。
プラーオに空き家を持っている友人、Yさんとのお茶のみ話で、午後から一緒に行ってみないかと誘われて
早速出かけたのが始まりです。最初はためらいました。第一の問題はチェンマイから遠いことです。
片道約100km、2時間もかかります。第二に、プラーオの病院は小規模で、急病の場合対処できるかと
いう心配がありました。第三に、運動の施設がないこと。私は週2回、卓球をしていましたし、日曜には
パーク・ゴルフをしていましたが、それらを諦めなければなりません。第四に、レストランはタイ料理店しかなく、
日本料理の食材を扱う店もないことです。
反対に、良い面もありました。第一に、チェンマイよりも気温が1,2度低いこと。第二に交通渋滞が全くないこと
です。そして第三に、広い敷地を利用して花や樹木を育てて楽しめることです。
最初に断らなかったのは、なんと言ってもYさんの人柄にあります。物件は、二人住まいには大きすぎ、厨房が
別棟になっていましたが、物置部屋を改造して新たに厨房を作ってくれました。数年もの間空家になっていたので、
1600㎡の敷地は荒れ放題でしたが、雑木を切り払って奇麗にしてくれました。
「無理に使ってくれなくていいよ」とは言ってくれるのですが、断りにくくなってきたのは正直な気持ちでした。
もともと、私たちは長年蔵王に住んでいましたので、田舎での生活には抵抗がありません。一度こんな所に住んで
みるのも良い体験になると思い、妻と相談して決心しました。ちなみに家賃は月3000バーツ、保証金もありません。
買い物はテスコ・ロータス、セブン・イレブン(3軒)、すぐ近くのタラート、街中のタラート、月曜市、
そして街にあるさまざまな小売店です。ここで買えない日本食材や特殊なものは、週1回のペースで
チェンマイに行く用事のついでに買い求めます。
古い家は自費で塗装をし、内部の不都合な場所は自分たちで手を加えました。壊れかけた穀物倉庫は
大家さんが解体してくれましたし、鶏小屋も許可を得て自分たちで解体しました。敷地の至るところに
捨てられた瓶、缶などのゴミを奇麗にし、借りてきた草刈り機で雑草を刈り払いました。半年過ぎた今、
ようやく花畑を作り、花木の植を楽しめる環境になりました。
私は毎朝、5時45分に目覚ましで起床し、安眠を与えてくれたことに感謝して寝具を整えます。
それから、両側がラムヤイ畑の道を約1時間散歩し、戻ったら両親や義姉兄等の写真に水を供えて手を合わせ、
おかげで楽しく生活していることを報告し、感謝してから、朝食をいただきます。食事は妻と交代で作ります。
日中は庭の手入れで約2時間汗をかく他は、TVを見たりパソコンに向かったりしてのんびりと過ごします。
10時半ごろにベッドに入り、今日1日を反省するうちに睡魔に誘われます。
家族は、私と妻のほかに愛犬のトイ・プードル「クー」と、猫の親子3匹がいます。
彼女らのほか、姿は見せませんがネズミが屋根裏に住んでいます。彼らの方が住人としては先輩なので、
追い出すことは控えています。というのは嘘で、追い出す手だてが分からず、困っています。
それから、トッケーが何度も家に侵入してきました。例の食物倉庫に潜んでいたようで、倉庫を解体した時、
壁に無数の卵を発見しました。トッケーが卵から孵ることを、その時初めて知りました。倉庫を撤去してからは
姿を見せなくなりました。
プラーオに住む日本人は10名前後と聞きましたが、お目にかかった方は3人しかいません。その中に、
堀内佳美さんがおられます。彼女はNHKの番組でも紹介された方で、後存じの方も多いかと思います。
タイの僻地の子供達に学力をつけてもらうため図書館を作り、移動図書館も設けておられます。時々図書館に
お邪魔しますが、出来る範囲でお手伝いしようと思っています。
此処での日本人の友人は居ませんが、タイ人と友達になり、地元のことなど色々と教えてもらったりして
お付き合いを楽しんでいます。
プラーオには温泉が7か所もあると聞いていますが、私は2か所しか知りません。知らない温泉に行くこと、
そして毎朝眺めているジョンポット山に登ってみるのが楽しみです。
完
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